今年は去年に増して激動の1年だったな。ただ自分がというより自分の周りで起こった出来事がたくさんあったということなので私が変わった、成長したという実感はまったく持てないのですが。いろいろ遊んでいただいた方ありがとうございました。また来年もわがままいっぱいで行きますので、こんな私でよければまた遊んでください。
ここから先は至極私的なことなので読み進めないことをお勧めします。
この先を読んでどんな気持ちになったとしても責任は持ちませんよー
今なら戻れます(笑)
ピンクの象を、想像しないでください。
想像しちゃった?
するなというと、ついやってしまうのが人間ですよね(笑)
かねてから病棟で闘病していた母が10月16日に息を引き取りました。12月の始めに四十九日の法要も終わって気持ちも既に落ち着いていますからご心配には及ばずです。去年から入退院を繰り返し、今年の3月にも医者から「あと一週間」の宣告を受けたにも関わらず、半年以上も生きていたのは本当に奇跡と思う。癌の末期で、もう科学療法では成すすべがなく、せめて最期は自宅に帰してあげましょうという計らいで自宅に戻ったら持ち直し、今までぜんぜん効かなかった薬が効いたんですねぇ、などと医者は言った。10月になってまた入院し、今夜が山と言われた時はまた覚悟したけど、なんとか持ち越して小康状態が続いた。その後も何度か緊急呼び出しがくるも、なんとかしのいでいました。ただ、やっぱり日に日に弱っていくのは目に見えて分かり、最初はしゃべることができなくなって、体を動かせなくなって、呼びかけにもあまり反応しなくなっていきました。聴覚は最期までずっと機能しているというのでずっと病室に就いていた父は声をかけることを止めず、髪がほとんど抜けてなくなった頭をなでながらいろいろ話していました。私には分かりませんでしたが、父は今起きているのか寝ているのか呼吸の状態で分かるとのことでした。TVドラマで見る、マスクの前に垂れ下がっている袋はどういうときに使うのか今回初めて知りました。あれは、呼吸がままならないときに袋を絞って空気を送り込むものだったんですね。一進一退が続く中、何度も会社帰りにお茶の水に通ったけど、前日病室に寄って久しぶりに家族4人揃ったときは夜のピクニックみたいな感じがした。不謹慎ながら、ぶっちゃけ親が死んでもそんなに悲しくないんだよね、とか話して。もちろん悲しいのは悲しいけど、もう、何度も今夜が山ですとか言われて死を覚悟していたこともあるだろうし、たぶん、連れ合いとか自分の子供とかマイミクの誰かが死ぬ方がもっと悲しいんじゃないかと思ったり。自分はちょっとおっちょこちょいな母親の遺伝子を半分継いでいるんだし、子供も3人もいるし、肉体は滅びてもそれぞれの中で生きているというか、死人に対してできることはずっと覚えていることだとカフカにあったけど、そもそも自分の中にいると思えば忘れっこないし、残された者は今を精一杯生きるしかないんじゃないかとか、春樹の「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している」という言葉が体感して分かったというか、身近な死に直面して生きるという意味が変わったというかそんな感じがしました。享年60歳は若いと言われがちですが、自分もなんの根拠もないけど5、60くらいで死ぬと思っているから、まあ、天命をまっとうしたんじゃないかなと思ったり。亡くなってから先生に呼ばれて病状の経過を聞いた後、最期に「いつも形式的に聞くので気分を悪くしたら申し訳ないですが」という前置きがあって、遺体を今後の医療に役立てたいので解剖させてくれないかという趣旨を言うんですね。ははぁ、なるほどと思ったけど父はずっと病室に寝泊りして看病していたからそんなのありえないと思っているんでしょう、丁寧に断りを入れました。お化粧をして、病室から霊安室に移動する際、エレベーターの前で先生と看護婦さん総出で見送ってもらいました。霊安室は地下駐車場の脇にあって、こんなところにあったのかとちょっとびっくり。病院についている葬儀屋さんは、もう看護婦さん3名がお焼香しているから先生は呼ばなくていいよと言っているのに、忙しい先生を霊安室まで呼び出すのはもっと優先順位考えろよ、貴重な時間は死人に対してより今病室で先生を必要としている人に使うべきだろとちょっと不満でした。式は祖父と同じ斎場でやったのですが通夜の時チャック全開だったことが分かりとても恥ずかしいことに。ずっと上着を着ていたから参列者には分からなかったかも(笑)
さて、12月の初めに四十九日の法要も終わって一区切り。年末は落ち着いて過ごせると良いなーと思った矢先、3連休の真っ只中に今度は一年以上寝たきりだった祖母が亡くなったと親父から連絡が入りました。12月22日 享年92歳。祖父と同じ年まで生きる大往生でした。長寿で亡くなるとおめでたいという意味もあるらしく、葬式の花に赤色も使うのですね。祖母の式は近所に知らせることなくひっそりと身内だけの家族葬で執り行ないました。ま、しかしこんな短期間に何度も親戚一同集まる機会なんてめったにないでしょうね。